#2 生きねば

タイトルや内容だけ見ていると聊か重い内容に見える。しかし、私はネガティブな意味でこれらを列記しているのでは無い。普段生きている中で僅かに感じることができるが向き合うことできない、根本的な問いや思案を求める場所を模索するうえでこういった場があるので必然的に内容がこういった類になってしまっているのだろう。つまり、前向きにこういった表現を捉えて欲しいという事である。

 

 

お盆が終わった。帰省し、また数々の友人知人とも会うことができ、大変有意義な機会となった。毎年毎年、同じように、だが微々と変わっていく人々。その微々たる変化をかみしめながら人生の終まで生きていくのであろう。それもまた人生の一興、幸せなことなのかもしれない。だが1つ學んだ。自分の幸せは此処に無いと。故郷にいてずっと変わり映えのしない人生を歩んでいくよりか、刺激に溢れ、常に学びや経験が存在する場所、そう、それこそが自分が求める生き方なのであろう。

 

離れている限り、平穏な場所は良く映るが持って3日であろう。私が求めるものはやはり冒険なのである。知らない何か、どこかへ行く、経験する。それこそが自分が求めていることなのだろう。その先に何があるのか?分からないが、とりあえず全力でやってみる。毎日を新鮮味をもって貴重に生きる。40歳、50歳になった自分が過去に戻りたいと思ったとする。もし、今の自分に戻れたら、その自分は何をするのだろうか?きっと死に物狂いで生きるに違いない。何かをするのに早いも遅いも無い、今を生きよう。1日、1日、生きねば。生きねば、答えは見えてこないのだから。

PS.入院している叔母ちゃん。もう喋れない身体だけど、自分には満面の笑みで見てくれているように感じました。笑顔を有難う。頑張っていきます。